97-98 BURTON johan 62ウェスト24.5cm。今でいうナローボードの走り。スノーボードビデオTB5(1996)では、自然地形とハーフパイプ両面こなす若きフリースタイラーとして秀でた才能を植え付けた。ハーフパイプでのインディノーズボーン、平野海祝さんが五輪で見せたメソッドと重なる。https://youtu.be/REIbSgufwSUその翌年、初のシグネーチャーボードを産んだのが当モデル。62にしてウェスト24.5cm。そこから得られた、ぶれのないターンはスピードを全くも落とすことなくむしろ後半で加速させる感覚すらあった。深く、深く。連続しあたかも雪面を切り裂くようなターンは当時好きなライダーやグラフィック優先で板を選んでいた友人に驚かれる。その深いサイドカーブと適度なフレックスが生み出す感覚はその先購入したモデルでは得ることがなく今も頭を離れない。今となっては四半世紀前のモデルであるが、現代のセンセイSENSEIに、DNAを感じる。炎のグラフィック。白地に青炎の別カラーも好きだったがヨハン98のカタログモデルはこちら。私は当時、グラフィックにさほどこだわりはなかった。しかし、四半世紀を超えた今、改めて見ると恰も暖炉のような安らぎさえ感じ、インテリアの一部にしようかとも思う。しかしTB6(1997)ではクォーターパイプにて顔面着地と壁越え。。苦手らしい。そのソールを見せることなく。その後、彼は断崖、パウダーのスペシャリストとして活躍。スキー場や裏山ではあり得ない斜面。崖の狭間を板と身体、ビーニーとゴーグルだけで疾走。でもチャレンジする場所は選んでいると彼はいう。合間に見せる360、全ての経験がそこに積み重なっている。https://youtu.be/ck6_BoLUKRg来日し生で見たビッグエアコンテストでは、フェイキーエントリーからメランコリーグラブにシフティ。実回転0°。賞など欲しくもなかったのだろう。彼を否定するスノーボーダーはいないと思う。それだけで観るものの心を動かす。それができるのは、現代のスノーボーダーのごく一部だけ。滑りで黙らせる。先の五輪の金メダリストであることは言うまでもない。h
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